両利きの経営 -成熟事業もイノベーションも成功させる組織に

両利きの経営

はじめに

イノベーションを起こして成長した優良企業も「イノベーションのジレンマ」に陥り、新興企業に市場を奪われてしまう、ということを別の記事で紹介しました。豊富な経営資源を持ち、きちんとした経営をしているにもかかわらず失敗してしまうという皮肉なメカニズムです。

クリステンセンが述べているように、このジレンマを回避するのはとても困難で、イノベーションを起こし続けるのは大企業でも難しいことです。しかし、それでも企業はイノベーションを起こさなければなりません。

そのためにはどうしたら良いのでしょうか。

その答えとして近年注目されているのが、「両利きの経営」という考え方です。

つい最近も、チャールズ・A・オライリーとマイケル・L・タッシュマンによる『両利きの経営 「二兎を追う」戦略が未来を切り拓く』という本が出版されています。

今回はこの「両利きの経営」について紹介します。

知の探索(Exploration)と知の深化(Exploitation)

さて、「両利き」ということの説明に入る前に、この二つについて説明しておきます。

イノベーションは画期的な新しい技術の開発によって起きることもありますが、すでに存在している何かと何かを「組み合わせる」ことによっても起きます。シュンペーターの言った「新結合」です。

何もない状態から何かが生まれることはないので、基本的に新しいものといっても、すでにあるものを基盤に、あるいはすでにあるものの新しい組み合わせがイノベーションの正体だと思います。

このような「組み合わせ」を考えるには、幅広く情報を集める必要があります。企業はそのために様々な方面にアンテナを張り巡らし、「知(技術や情報など)」を集めなくてはなりません。このような活動を「知の探索(Exploration)」と呼んでいます。

イノベーションのためにはこの「探索」活動を絶え間なく行っていかなければならないのです。

そして、「探索」活動によって生み出された新たな「知」によって、企業は収益を生み出していくことになります。磨き上げて洗練させたり、深掘りしたり、バージョンアップしたりして、利益に生み出せるようにしていきます。このような活動を「知の深化(Exploitation)」と呼んでいます。

『両利きの経営』の監訳者である入山章栄氏は「深化」と訳していますが、少々イメージしにくいかもしれません。手に入れた新しい「知」を深掘りしてより良いものにしていくという感じです。これを「活用」と訳す人もいて、その方がわかりやすいと思いますが、なんとなく意味が限定されすぎてしまう気もします。思い切ってかんたんに言えば、「すでにあるものを使って儲ける」ということです。

ちなみに、ExplorationとExploitationはもともとジェームズ・マーチの1991年に発表された論文に著されたものです。入山氏によれば、この論文の成果が現代のイノベーション研究のベースにあるということです。その意味で、この論文をイノベーション研究の「金字塔」だと述べています。(James G. March “Exploration and Exploitation in Orgnizational Learning”, Organization Science Vol.2, No.1)

成功者の陥る罠

先に結論的なことを言うと、企業がイノベーションを継続的に起こし、成長を続けていくためには、これら「知の探索(Exploration)」と「知の深化(Exploitation)」の両方が必要だということです。

つまり、今あるものを利用するだけではいずれ行き詰まってしまいますし、他の企業のイノベーションによって地位を奪われてしまいます。ですから、この両方が必要であり、それが「両利き」ということです。

といったものの、ところが、なかなかそううまくはいかないのです。

「イノベーションのジレンマ」とほぼ同じことなのですが、企業は「深化」に力を入れすぎる傾向にあり、「探索」活動がおろそかになってしまうのです。

成功者はそれまでにうまくいったやり方をなかなか変えることができません。「深化」を推し進め、利益を生み出す体制ががっちりとできあがってしまうと、それがアダとなり、新しい取り組みができなくなってしまうのです。

これをオライリーとタッシュマンらは「サクセス・トラップ」と呼んでいます。おなじことを入山氏は「コンピテンシー・トラップ」と呼んでいます。いずれにしてもイノベーションを起こして成功した企業が陥る罠です。

実際、「探索」はたいへんな作業です。コストもかかるし、成功するかどうかもわかりません。成功者はこのようなリスクをわざわざ取りたがりません。当初は予算がつけられていても数年で成果が出なければどんどん削減され、現在儲かっているビジネスに予算が回されるようになります。中長期的な視点が失われ、短期的な思考になっていきます。

つまり「深化」に力が注がれ、「探索」がおろそかになっていくのです。このようなリスクが組織には本質的に備わっているというわけです。

その例として、オライリーとタッシュマンはコダックの失敗を挙げています。

コダックはエレクトロ二クス分野で優れた技術を持っていたのに、フィルムや写真にこだわったがゆえに、衰退市場から抜け出せなかったのです。強力なブランドや経営体制を持っていたことが、新しいビジネスモデルへのシフトに災いしたと指摘しています。それとは対照的に、ライバルの富士フィルムはカメラや機器だけでなく、化粧品や液晶パネル、医薬品などに専門知識を応用し、成功を遂げたとしています。

企業が存続し続けていくためには、「イノベーションのジレンマ」や「サクセストラップ」といった状況に陥らないようにする必要があるのです。

もう一度言いますが、だから「知の探索(Exploration)」と「知の深化(Exploitation)」の両方を実行していくこと、すなわち「両利きの経営」が求められるのです。

両利きの経営

「両利きAmbidexterity」というのは、左右の手を同じように使えるということです。すなわち、「知の深化(Exploitation)」だけではなく、「知の探索(Exploration)」も行えるようにするということです。

とは言え、「イノベーションのジレンマ」で論じられたように、多くの優良企業が失敗してきたわけですから、そんなことが果たして可能なのかと疑問に思うことでしょう。

「両利き」の実践例として、オライリーとタッシュマンは著書の中で多くの事例を挙げています。

例えば、『両利きの経営』の第2章ではアマゾンを取り上げ、20年の間に探索と深化を繰り返し、急成長を遂げてきたことに注目しています。同社は既存の経営資源を有効に活用しながら新たな機会を常に探索してきており、探索と深化をあわせると25にもなると分析しています。

また、第4章では、両利きの成功事例としてUSトゥデイやチバビジョンなど6つの企業を取り上げて分析していて、それらの重要な共通点として3つの強みと1つの弱みがあると指摘しています。大まかにいうと次のようなことです。

もっとも重要な共通点として、探索を行う組織が大組織の資産(技術、ブランド、顧客へのアクセスなど)を活用でき、それが競争優位につながったということです。両利きの真の優位性は、新参者が持っていない資産や組織力を使って、ベンチャーがスタートを切れるところにあるとしています。

第二の共通点は、上位層の支持です。上層部の支援がなければ新規なものは既存の組織の抵抗にあって十分な動きができず、苦境に陥ったときにどうしようもなくなってしまいます。また、上層部が既存の成熟事業と新規事業との間で対立の調整を行わないと、新規事業が孤立してしまうからです。

第三の共通点は、探索を行う組織を大組織から分離させることです。新しいスタートを切るには古い構造やプロセスから解放される必要があるからです。

次に弱みですが、それはこれらの成功が属人的な努力の成果だということです。両利きの経営が組織能力ならば、反復可能でなければなりません。しかし、それらの成功が「その」リーダーの洞察力や行動によるものだとしたら、「その」人物がいなくなると新規事業を継続していくことができなくなるかもしれません。つまり、その人でなければできないのであれば、「たまたま良いリーダーに恵まれた」、あるいは「その人の代わりがいないからできない」ということになってしまうわけです。

両利きになるための要素

では、両利きの経営を行うためにどのようなことが必要かということですが、同書では4つの構成要素を挙げています。両利きになるには4つすべての組み合わせが必要だとしています。以下に挙げておきます。先に説明したことの繰り返しになるところもあるのですが、まあいいでしょう。

1、明確な戦略的意図があること

これは両利きの経営を行うことを正当化できるような明確な意図を持つということです。新しい事業がその企業にとって戦略的に重要な意味を持ち、同時に成熟した事業の資産をうまく利用できるということがその裏付けになります。

2、経営陣が新しい事業を支援し、守ること

新規事業を権限を持った経営陣が資金や様々な面でしっかりと支援し、監督し、成熟事業からつぶされないように守ることです。私個人としてはこれがもっとも重要なポイントのような気がしています。

3、新しい事業を組織的に分離するとともに、既存の資産を十分に活用できるよう、組織設計をうまくやること

 成熟事業の組織から距離をおかなければつぶされてしまうのですが、かといってせっかく持っている豊富な資産を活用できなければ同じ企業の中で行う意味がありません。両方の組織がうまくいくよう慎重な組織設計をしなければならないということでしょう。

4、共通のアイデンティティ(ビジョン、価値観、文化)をもつこと

 両方の事業が別々に動くといってもそれらをまとめる共通の理念というものがなければバラバラになってしまって、組織としての力を発揮することができないということですね。別の次元の何かがないといけないというわけです。

おわりに

ここまで「両利きの経営」について見てきました。長くなりすぎるので、この辺りにしておきます。詳しくは『両利きの経営』を読んでいただきたいと思います。

ふと思うのは、人間でも「両利き」は便利ですが、そんなことができる人は多くはありません。言うのはかんたんですが、実行するのは難しいことです。ですが、トレーニングすればそこそこはできるようになると思います。また、そうせざるを得ないような環境に置かれるとできるようになるということもあります。

クリステンセンは成熟した組織ではイノベーションは難しいとして、イノベーションのためには別の組織としてスピンアウトすべきだとしましたが、ある意味で古い組織を見捨てるようにも見えます。したがって、成熟した組織そのものにはあまり有益な話ではなくなってしまいます。

一方「両利き」は新しい事業を起こすのに、成熟した組織の資産も有効に活用しようと考えるわけです。その分、企業としては有益なものと言えますが、それって「多角化」ではないか、と思ったりします。「イノベーション型多角化」と言ってもいいかもしれません。このあたりはもう少し熟慮が必要ですが・・・。

なお、オライリーとタッシュマンの本の注目すべき点は、このような両利きの経営において極めて重要な要素がリーダーシップだとしている点です。

企業の将来を左右するのはやはり権限を持ったトップです。そのトップが両利きを意識した経営ができるかどうかにかかっているということです。先にも述べましたが、私も同感です。良くも悪くも経営トップには大きな権限があります。果敢に「探索」を行い、イノベーションの芽を見つけたらそれを積極的に育てていく。そういうトップのリーダーシップが不可欠です。

その意味で、この『両利きの経営』は現代の日本企業のトップが読んでおくべき貴重な研究成果だと思います。

補足:入山章栄のハーバード・ビジネス・レビューの記事から

先に紹介した入山氏はハーバード・ビジネス・レビューで両利きについての記事を書いています。その中で、4つのレベルから見た両利きということを述べていますので、ちょっと紹介しておきます。

1、戦略レベル

戦略的に企業を両利きに促すことができるということです。

代表的な例として、オープン・イノベーションを挙げています。つまり企業内部だけでなく外の組織と交流を持つことで、イノベーティブな面を促進するということです。その他に、コーポレート・ベンチャー・キャピタルにも注目しています。

2、組織レベル

組織を構造的に両利きにするということです。

例えば、組織を深化部門と探索部門に分け、両方のバランスをとりながらイノベーションを追求していくということです。大事なことは新しいことをやる組織に好きなようにやらせるのですが、上層部が既存の事業の組織とうまくバランスをとるようにすることです。

その他、同時にではなく時間軸で分けるということも挙げています。つまり、ある時は深化、ある時は探索にと、時間の経過で両利きを使いわけるということです。

3、人材レベル

オライリーとタッシュマンが挙げているように、両利きの経営者を育成するということです。まだあまり研究が進んでいないようですが、権限を大きく与えたり、いくつもの業務に同時に関わったり、他部門と常にコミュニケーションをとるような仕事をしている人材は両利きになりやすいそうです。

4、脳レベル

これはユニークな研究で、探索と深化のそれぞれの意思決定で脳のどの部分をつかっているかを分析したものです。探索の時は「関心」のコントロールに関連する部位が活性化しているそうで、この部位が活発な人ほどパフォーマンスが上がったのです。そういう人はコンピテンシー・トラップ(サクセス・トラップ)を脳レベルで回避できるそうです。

マウリッツィオ・ゾロという人の研究で、とても面白いですね。ちなみに、関心のコントロールの部位の活性化を阻むのはストレスと睡眠不足だそうです。

もっと詳しく学びたい人のために

チャールズ・A・オライリーとマイケル・L・タッシュマン『両利きの経営 「二兎を追う」戦略が未来を切り拓く』東洋経済、2019年

入山章栄「世界標準の経営理論 第14回 組織学習・イノベーションの理論❶ 」ハーバード・ビジネス・レビューNovember 2015

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